• 旬の情報
  • 八代おすすめ観光スポット(八代城周辺)

八代おすすめ観光スポット(八代城周辺)

更新日:2017年5月1日

八代の歴史と文化に触れるならココ

肥後花菖蒲が咲く頃の松浜軒 肥後花菖蒲が咲く頃の松浜軒

八代の迎賓館 国指定名勝「松浜軒」 
旧熊本藩八代城主浜御茶屋(松浜軒)庭園
 
松井家は、肥後熊本藩主細川家の家老を勤めた家で、戦国時代に活躍した初代康之は、織田信長や豊臣秀吉から一目おかれた有能な武将で、千利休とも親しい交流がありました。松井家には、利休最後の手紙など、熊本だけでなくわが国の歴史と文化を知る上で貴重な文化財を多数所蔵しています。
 松浜軒は、元禄元年(1688年)、八代城主松井直之が母崇芳院尼のために建てたお茶屋で、当時この辺りには松が茂り、八代海を見渡せる浜辺であったことから松浜軒と名づけられました。毎年5月中旬から6月中旬頃の肥後花菖蒲が特に有名ですが、四季折々の風情を楽しむことができる庭園です。
 庭内には子供の守り神として江戸時代にまつられた児宮(ちごのみや)や京都伏見から勧請した稲荷神社がまつられており、子供の無事な成長や家内安全・商売繁盛にご利益があるそうです。2002年に「旧熊本藩八代城主浜御茶屋(松浜軒)庭園」として国の名勝に指定されています。
 庭内の展示室では、松井家伝来の宝物(財団法人松井文庫所蔵)が展示されています。お茶会の時期には茶道具、妙見祭の時期に妙見祭の絵巻、雛祭りの時期には雛人形、といったふうに季節ごとに内容を替えて展示公開されています。

博物館外観 博物館外観

世界的建築家伊東豊雄氏設計による
「八代市立博物館未来の森ミュージアム」
 1991年(平成3年)10月開館した歴史系博物館。くまもとアートポリス参加作品。世界的建築家伊東豊雄氏(米プリッカー賞受賞者、新国立競技場B案デザイン)の設計による斬新な外観が自慢です。
 八代城主を勤めた松井家伝来品の常設展示や、八代焼(高田焼)や肥後鐔、宮地和紙、染韋(そめかわ)などの美術工芸品、古墳や城跡からの出土品、妙見祭神幸行列人形模型や八代城城郭模型、各時代の歴史資料など、過去から現代に至る八代の歴史と文化をさまざまな角度から紹介しています。
 博物館に隣接する松浜軒(しょうひんけん)は八代城主松井家が江戸時代に築いた庭園て、国名勝に指定されています。足を伸ばすと八代城跡(国史跡)や細川三斎が晩年を過ごした北の丸庭園跡などがあります。

八代城本丸跡 表枡形虎口 八代城本丸跡 表枡形虎口

全国でもめずらしい一国二城・石灰岩の白い石垣の
国指定史跡「八代城跡」
 
八代城は、元和5年(1619)の地震により、麦島城が崩壊したため、熊本城主加藤忠広(清正の子)が幕府の許可を得て、家老の加藤正方に命じ、同6~8年にかけて球磨川河口北側の松江村に築城した平城です。
 寛永9年(1632)改易となった加藤家の改易により熊本城主となった細川忠利の父忠興(三斎)が入城し、北の丸を居所として本丸に四男の立孝(立允)を居住させました。正保2年(1645)閏5月に立孝が、続いて12月に三斎が没したため、翌3年(1646)家老松井(長岡)興長が入城し、以後は代々松井氏が在城しました。落雷による焼失や明治維新後の取り壊しがあるも、本丸の石垣と内堀が残り、本丸跡に懐良親王をまつる八代宮が鎮座しています。 
 
 中世の古麓城、安土桃山時代の麦島城、江戸時代の松江城(現 八代城跡)と3つの時期に分かれる城が残り、2014年「八代城跡群(やつしろしろあとぐん)」として、古麓城跡・麦島城跡と併せて国の史跡に指定されました。

戻る

PAGE TOP